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海を渡った日本の花 (26) ノイバラ

ノイバラ(バラ科)Rosa multiflora = 花の多い
バラというと西欧文明を代表する華麗な花だが、地味な日本原産のノイバラがその育種に果たした役割は大きい。現在の多数のバラの園芸種の育種には8種の野生種が貢献した。その内3種が日本原産で、その一つがノイバラ。他はテリハノイバラと既にUPしたハマナスの2種(大場秀章「バラの誕生」1997)。  
 
Thunbergノイバラは古くから清楚な花と香りが愛され、万葉集にはウマラの名で登場し、「道の辺の荊(うまら)の末(うれ)這ほ豆のからまる君を離(はか)れか行かむ(巻二十)」などと詠われた。ウマラ、ウバラがイバラへと転訛し、中国から観賞用のバラが入ってくるとノイバラとなったのであろう。ツンベルクが彼の「日本植物誌(1784)」で学名を与え、和名は「ノイバラ」「ノイゲシュウ」だと記した。 (左図 京大) 

Step 79 フランスに入ったのは、バラの歴史では比較的遅い1862年。小さな花を数多くつける特徴から、房咲きのポリアンサ系・フロリバンダ系の祖先となり、また強健な台木となるので、現在でも育種家・愛好家にとっては大事な存在である (左上図 E. Step(英)1896 多色石版) 。

園芸種が欧州に入ったのはそれより早く、ルドーテのバラ図譜 (1817 - 24) には中国原産の「七姉妹」という、ノイバラの変種が描かれている。この品種は1800年代初頭にグレヴィルが日本から英国に種でもたらし、フランスにはノゼッティが1817年にロンドンの近くの market gardener から購入し導入した。(右下図 Rosa multiflora (Japan) 「七姉妹?」, Bessa (仏)1864 多色銅版手彩色) Bessa

また、ノイバラとコウシンバラの自然交配種「緋色のツルバラ(Crimson Rambler)」は、1898年に当時の東大工学部教授のスミスが長崎で採集し英国に送り、後には世界中に拡がった。

一方1866年に栽培バラの台木としてノイバラを移入した米国では、1930年代に土壌保全や牧場の生垣等に用いる目的で挿し木での繁殖が推奨され、また、高速道の中央分離帯に対向車のヘッドライトの眩しさを抑えるため植えられた。しかし、あまりの繁殖力の強さから、現在では少なくとも10州で有害侵入植物とされ、「愁ひつゝ岡にのぼれば花いばら」- 蕪村 - の風情からは程遠い「憂い」となっている。
 
Sankeiden 宮城県松島には円通院という寺があり、ここは若くして亡くなった(幕府による暗殺説もある)伊達政宗の嫡孫(ちゃくそん)光宗の霊廟として、正保4年 (1647) 瑞巌寺第100世 洞水和尚により三慧殿(さんけいでん)が建立され開山された。本堂からさらに奥まったところにある、国の重要文化財に指定されているEntsuuinnこの三慧殿の中にある厨子には、支倉常長が西洋から持ち帰った(寺伝)とされるバラの絵が描かれていて、円通院はこのバラをよりどころにした「バラ寺」として知られている。ただ、支倉常長のローマからの帰国には4年もかかっているので、到底苗や花を持ってきたとは思えない。宮城県立博物館の支倉常長関連の収蔵品にもそのような痕跡はない。最終寄港地のジャワから持って来たのかもしれないが。 

たしかに、当時日本にあった紅色のバラは房咲きしか知られていなかったので、この一輪咲きのバラは異様。他にも西欧のシンボル(トランプのマーク)や、彼が滞在したフィレンツェの市の花、スイセン(寺のHPにはそう書かれているが確認できず)も描かれているので、支倉常長がもってきた何らかの資料に基づいて描かれた可能性はあるが---。日光東照宮の装飾彫刻にも一輪咲きのバラがあるようなので、これが何なのか、コウシンバラ (Rosa chinensis) が既に入ってきていたのか、興味がある。

円通院はこの寺伝を基に、バラ園を作ったり、日本最古のバラを育てたり、西洋庭園を作ったりして、花の寺として売っている。あまり深く詮索しないほうがロマンとしてはいいのかも知れないが。
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