スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

海を渡った日本の花 (33)  クスノキ - 2

クスノキ(クスノキ科) Cinnamomum camphora=(アラビア語で)樟脳 
 
Kaempfer's ケンペルが1691年の江戸参府の旅で九州肥前の国 彼杵(ソノキ - 現長崎県東彼杵郡東彼杵町)で見た大きなクスノキ,135年後の1826年にシーボルトも同じ樹を江戸参府の際に見て,川原慶賀に命じて描かせた図を著書「日本」に載せ,また1862年にロンドン絵入新聞 (Illustrated London News) の特派員が,「ケンペルの樟」として,その図を載せるほど,海外でも知られていたクスノキ(クスノキ-1)も,樟脳の原料として明治年間にあえなく切り倒された. 
 
  『和漢三才図会』(寺島良安1713年頃)によれば樟Wakan脳の製法は「△按ずるに,樟脳は日向,薩摩,大隅より出づ.深山の中の老たる楠の木を採りて円刃の釿を以って斫り取り,土鍋に盛り,上にも亦た鍋を蓋し,之れを蒸炙る.脳は上に升り着く,霜の如し.乃ち此れ樟脳なり.」とある(左図).また薬効として「疥癬、齲を治す」とあり,現行薬局方 (JP-16)に収載されている「歯科用フェノール・カンフル」(う窩根管消毒・歯髄炎鎮痛鎮静剤),「イオウ・カンフルローション」(ニキビ治療剤),「複方サリチル酸精」(水虫治療)にカンフル(樟脳)が配合されているのに合致して興味深い.
  一方,『本草綱目啓蒙』(小野蘭山1803-1806)での製法は,「先地ヲ掘テ長竃ヲ築キ,数鍋ヲ並べ架シ,各水ヲ入,上ニ木甑ヲ置,樟ノ生木ヲ伐,枝卜皮トヲ去,割テ小薄片卜為,甑中ニ入,木薪ヲ焼テ蒸過シ,上二沙盆ヲ蓋ヒ,火侯足リ,沙盆冷ルニ至リテ,盆内二樟脳ノ結スルヲ払ヒ取.」とより日本山海名物図会に描かれた方法に近い. 

  江戸時代,最初に製脳を事業化したのは薩摩藩で,藩の専売とし長崎から中国人とオラSankaiンダ人によって世界各地に輸出された。この収益で,薩摩は強大な藩となった.その秘密は,薩摩焼きで有名な沈家が開発した,昇華した樟脳の受け器にあたる焼き物の蓋で,その形状や材質に秘密があり,他の容器より収率が優れていた.この容器の製法は門外不出だったとか(平瀬徹斉著,長谷川光信挿画『日本山海名物図会』宝暦4年(1754)).やがて土佐藩でも水冷式の製脳器が発明され,製脳事業は大いに発達した。
樟脳は出島における日蘭貿易の日本側の主要な輸出品のひとつだったが,その樟脳の精製度は低く,オランダ東インド会社が再精製して欧州に高価に供給した.幕府は出島に欧州から化学者を招聘し,クスノキから樟脳の抽出法を学ぼうとしたが,成功しなかった. 
 
Woodville 1810 開国後,九州、四国はもとより紀伊、伊勢、駿河、伊豆地方の各地に製脳業が興った。近代化された製法で製造された樟脳は,薬用(カンフル剤)として,防虫剤として,そしてセルロイドの原料として世界中で需要が増大して,明治期には外貨獲得に欠かせない輸出品となった。播磨国加古郡の船乗りで、ハワイに漂流して日本人で最初にアメリカに帰化したジョゼフ・ヒコ(浜田彦蔵)は、合衆国領事の依頼で1868年以降の神戸港から輸出された樟脳の額を調査している( 「開国逸史アメリカ彦蔵自叙伝」p.412,ぐろりあそさえて, 1932年)。それによると1868年の98,300斤が、1884年には356万6千斤と3.5倍に達している。1斤600gで換算すると2,000tonを越える。

 そのため,クスノキの大木の価格は上がり,利権の対象ともされ,次々と切り倒された.ケンペルのクスノキとして有名な長崎県東彼杵郡東彼杵町のクスノキも,明治年間に樟脳を取るために売却された.日露戦後の明治39年(1906)6月に出された勅令第220号「神社寺院仏堂合併跡地ノ譲渡ニ関スル件」に端を発した神社の統廃合政策の結果、各地で一村一社を目指して様々な動きが起こったのも,廃社になった神社の神木であるクスノキの大木を切りやすくすることを目的としたという説もあるほどだ. 
 
Curtis 1826 日清戦争の結果台湾を領土とした政府は,明治二十八年(1895)『樟脳製造取締規則』を公布して、旧清国政府の許可証を持つもの以外の製造を禁止し、台湾の樟脳事業における外国資本家の独占的地位の排除を図ったが果たせず,当時諸外国との交渉事件の大部分は樟脳に関するものであった。1899年には樟脳専売規則を公布した。明治四十一年1911年に至り総督府がその販売方法を変更して直営とし、三井物産株式会社に委託販売したことによって始めて樟脳商権は日本資本家に帰した。この規則は台湾を失った戦後も引き継がれ、資源保護と生産業者育成の立場から買い上げ価格を上げ,需要家に負担させる政策を取っていた.一大生産国の日本の政策で樟脳の価格が高沸したので,米国南部でもクスノキの栽培が試みられたが,害虫の発生により頓挫した.しかし,樟脳が化学的に合成されるようになり,またポリマー化学の発達により,フィルムの原料としてハリウッドの映画産業を支えた樟脳も,その需要が激減したので,樟脳専売規則は1962年に廃止された。

 現在諸外国ではクスノキは公園樹として利用されているが,鳥により種が広く散布され,その実は鳥の不妊化を引き起こし,葉はカエルや魚類に有毒だとして,エコシステムへの影響が憂慮されている.また,大きく育つと根が道の舗装や地下の送電線やパイプを持ち上げる被害がでて,そのためか,豪州では栽培が禁止されている.

Woodville-Sowerby "Medical Botany" 1810 (英) 銅版手彩色
Curtis "Botanical Magazine" 1826 (英) 銅版手彩色

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

トラックバック

http://psieboldii.blog48.fc2.com/tb.php/115-dc9b05c2

プロフィール

花盛屋敷

Author:花盛屋敷
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム

Please visit my another Blog

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2カウンター

RSSリンクの表示

最新コメント

最新トラックバック

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。