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海を渡った日本の花 (39) トベラ Japanese mock-orange

Pittosporum tobira

トベラは節分や大晦日に門に飾り,ヒイラギと同様に鬼を祓うのに使ったという.  
 
P1010112 2006年4月中旬に訪れた米国北カロライナ州のウィルミントンはもう初夏の気候で海岸は大西洋の波と戯れる海水浴客でにぎわっていたが,砂地に生えていたこんもりとした常緑の灌木には,よい香りのする白い厚手の花弁の花が群がって咲いていた.これは日本原産のトベラ Japanese Pittosporum で,現地では良い香りのすることから “Japanese Mock Orange 日本オレンジもどき” と呼んでいた.同行していたカリフォルニア在住の英国人 Kate-san の話では,カリフォルニアでも海岸に沢山生えているとのこと.
P1010044 他にはJapanese Pittosporum, Japanese cheesewood ともよばれ,米国ではかなりポピュラーな木のようだ.近くのヨットハーバーでは斑入り葉の大きな繁みがいっぱいに淡黄色の花をつけ,つややかに葉を輝かせていた(右図).

Kaempfer Tobera 欧州に最初に紹介したのは,ケンペルで,彼の『廻国奇観』 (1712 ) に図入りで “Tobera", "Tobira” と記載した(左図).リンネの弟子で,やはり出島の医師であったツンベルクは大著 ”Flora Japonica” (1784) でニシキギ科に属するとして Euonymus tobira という学名をつけたが,後に W.T. Aiton が 1811 年に,トベラ科トベラ属(Pittosporaceae, Pittosporum)をたて,その一員とした.

英国キューガーデンに移入されたのは 1804 年で,東インド会社のHenry Addington と Kirkpatrick 船長によるとされ,Curtis 18111811 年の Curtis Botanical Magazine には花の咲いた枝の図と共に「つやつやとした葉をもち,花は白くが,やがて黄色く色あせる.花は香りが良いが,葉や樹皮に傷をつけると,ケンペルの言うとおりオオウイキョウ由来の樹脂(sagapenum)のような非常に不快な臭いがする.今のところ熟した実はなっていないが,未熟の実は4室からなっていて,ケンペルがいう,こぼれだす3つの種より多い」とあり,「丈夫な温室用の灌木である」とされている(左図).

一方Tovah Martin らの “Old-fashioned flowers: classic blossoms to grow in your garden (Brooklyn Botanic Garden - 2000 )” には,米国には,英国より5年早く 1789 年には導入されていて, “Pittosporum tobira has rhododendron-like, forest green leaves topped by umbels of intensely fragrant, cream-colored flowers. It remains a very popular indoor plant.” と書かれている.米国でも寒い地方では屋内で育てられているのであろう. 

現在では世界各国,特に海岸地方で装飾用樹木として,また,葉物生花 (cut foliage) の素材として広く育てられ,米国フロリダ州はその一大生産地である.1983年の統計では,全米の葉物生花の5%のマーケットをトベラが占め,とくに斑入りの葉の枝は緑のものより高額で取引されたとのこと.日本でも,ヤツデと共に装飾用また生花用の素材として見直しても良い植物であろう.

海を渡った日本の花 (38) カキ,カキノキ,Japanese persimmon, Sharon Fruit

Diospyros kaki     

世界で最も普及している日本原産の果実はカキの実. 次は "Satuma" といわれているミカンか.
Kaki-Kaempfer-Thunbヤマガキは日本の山地に自生しているが,食用としている大きな果実がなる種は中国から平安時代に渡来したと考えられている.これはシブガキで,アマガキは日本でシブガキの突然変異から生まれ改良されてできた.江戸時代には 1000 以上の品種があったと伝えられる.

ケンペルの『廻国奇観 (1712)』には,図と共に3ページに渡って種々の品種と共に紹介されている(図は上図,左側).種小名が日本名の「柿 Kaki」に由来する学名をつけたツンベルクは『日本植物誌 Flora Japonica (1784) 』でやはり3ページに渡り,日本産のカキについてシブガキやシナノガキと共に記し,これが原記載の一つとなっている(上図,右側).原記載のもう一つは彼の “Nova Acta Regiae Soc. Sci. Upsal.” iii. 208 (1780) での記述.

19 世紀には欧州・米国で栽培されるようになった.
USDA Pomological Watercolor Collection  YokohamaN米国には日本を開国に導いたペリー提督が,日本から苗を持ち帰り,ワシントンD.C.に植えたのが最初としている記事もある.確かに彼の遠征記第二部には,カキノキの腊葉標本が下田で採取された事が記載されているが,苗木を持ち帰ったという記述は遠征記にはない.米国には Native American が食用に用いていた Virginia Persimmon (D. virginiana) という小型のシブガキが自生していて,開拓者が完熟した実をプディングやケーキ,パイなどに調理していた.そのためか,大きな実の日本産のカキは歓迎され,特に温暖なカリフォルニアを中心に広く栽培されるようになった.
日本からの苗木の輸出も盛んで,ユリハナショウブの項で言及した「横浜植木」の種苗カタログ(1914)の表紙は真っ赤に実ったカキの実の木版画が彩った(上図,from USDA Pomological Watercolor Collection, NAL Collections, National Agricultural Library).現在では特に「富有柿 Fuyu」がひろく栽培され,流通している.

一方,イスラエルでは乾燥した気候に適応しているのか大規模に栽培され,栽培地の名前を冠した “Sharon Fruit” の名で西欧諸国に輸出され,そのため “Sharon Fruit” が,カキの実の名としては一般的になっている.

Kaki Linden Kaki USDA Yemon
J. LINDEN, “Illustration Horticole” (1889) ベルギー,多色石版
W. H. Prestele, “The 1887 Yearbook of the USDA (United States Department of Agriculture)” (1887) 米国,多色石版

海を渡った日本の花 (37) キキョウ

Platycondon grandiflorum  
 
Kaempfer Kikko東アジアに広く分布する多年草.日本のキキョウを最初に欧州に紹介したのはエンゲルベルト・ケンペル (Engelbert Kaempfer 1651 – 1716).彼は『廻国奇観』(Amoenitates Exoticae, 1712)に Kekko (桔梗の音読み) Kikjo & Kirakoo として,根がチョウセンニンジンに似て花が釣鐘型などと記述し,白色種や八重種があることを記載している(左図).

キキョウの学名 Platycondon grandiflorum はスイスの植物学者,Alphonse Louis Pierre Pyramus de Candolle (1806 – 1893) が 1830 年の Campanulanceae (キキョウ科)のモノグラフで命名した.この植物はそれ以前,1776 年にベニスの植物学者 N. J. von Jacquin (1727 – 1817) の出版物に Campanula (ホタルブクロ属)の種として記載された(Litt. Hort. V.3. t.2).また,Heinrich Adolph Schrander (1767 – 1836) はこの植物を Wahlenbergia (ヒナギキョウ属)に属する種として記載した.

英国には 1844 年にロバート・フォーチュン (Robert Fortune 1812 – 1880) が中国から Chiswick の園芸協会に根茎を送ったことによって導入された.しかし,ジェラード(John Gerard aka John Gerarde, 1545 – 1611 or 1612)が 1599 年に作成した自分の庭にある植物のリストに「青い中国のベルフラワー」と記載したのがキキョウだとすると,かなり前に中国から入ったことになるが,これは観賞用花卉としての価値が認められたからではなく,その根が,誤ってか意図的にか,高価なチョウセンニンジンとして用いられていたからであろう.

キキョウの原種は野放図に伸び広がる性質があったので,今西欧の庭で栽培されている種はグランディフロールム・マリエシイ種 (P.grandiflorum mariesii) で,英国の種苗園ヴィーチ商会が送り出したプラントハンターのチャールズ・マリーズ (Charles Maries 1850-1902) が日本の蝦夷島〔北海道〕で発見した,丈が低く小形のキキョウである.「それはじつに美しい植物で,シャーリー・ヒッバードから「耐寒性の植物の愛好家は、この植物の栽培をすみずみに至るまで修得するまでは手足を休める暇もない」というほどの賛辞を受けたがそれに十分値するものである。ファーラーは、自生地ではこの花が大量に咲いているので「ある日本の沼地では秋の特別な見もので、イギリス人にとってのバラやスミレと同じように昔の伝説や詩によく現われる」と言っている。『花の西洋史』草花篇 A. M. コーツ著,白幡ら訳 八坂書房(1989)」 

Curtis 1805 Wendel 1876 C. antumnale

Curtis "Botanical Magazine" Campanula Grandiflora (1805)  銅版手彩色
Wendel "Nederlandsche Flora en Pomona"  C. antumnale (1876)  多色石版

Hakone Blue 大場秀章元東大教授は,「草木花ないまぜ帳 キキョウ」で,「二重咲きになったフタエキキョウ、白花のシロバナギキョウなどが有名だ。また、切花用の早生の「さみだれ」などのいくつかの園芸品種がある。しかし、知名度も高く花も見栄えがする割りにキキョウに園芸品種が少ないのはなぜだろう。その大きな原因はキキョウに類似する野生種がないことがある。これがキキョウの園芸的な発展を妨げたといえる。」と言っているが,西欧では多くの園芸種が生み出されていて,ある園芸誌によると右図の “Hakone Blue” 他 53 種を数える.

また,江戸時代には貝原益軒の『花譜』(1694年)に「紫白二色あり.(中略)八重もあり」と記され,また,伊藤伊兵衛の『花壇地錦抄』(1695年)には絞り咲きや各種の八重咲き,「扇子桔梗(あふききけう)」と名づけられた帯化茎(たいかけい)のものなど8種があげられている.

本草通串証図 また,越中富山藩第10代藩主 前田利保の命で編纂され,1853年(嘉永6年)に序文が書かれた植物図譜『本草通串証図(ほんぞうつうかんしょうず)巻二』には,現在は見ることのできない緑色の八重咲きや濃い黄色,花弁が基部深くまで切れ込んでそれぞれが外側に丸まってウサギの耳のような形になる「兎耳桔梗」,花弁が平皿のような形になる「紋桔梗」などのほか,現在も見られる桃色やウズキキョウ,早咲きのものなど14種が美しい多色木版で収録されている.残念ながら,これらの多様なキキョウの園芸品種は,その多くが明治の中ごろまでに絶えてしまった.

海を渡った日本の花 (36) ハナショウブ(3/3) Japanese Iris

Iris ensata Thunb. var. ensata Syn Iris kaempferi

1904In love's garden; a human nature book; John Cecil Clay "Oh, lady dear, hast thou no fear?

Why and what art thou dreaming here?

Sure thou art come o’er far-off seas,

A wonder to these garden trees! "

From “The Sleeper” By Edgar Allan Poe


"In love's garden; a human nature book"
John Cecil Clay, inv. et del (1904) 米国 多色石版


Thomas Hogg Jr. が米国に ハナショウブを最初に輸出したのは1892年.日本開国後,1862年にリンカーン大統領によって関税システムの日本導入のため派遣された T. Hogg Jr. は,職を離れた後8年間日本にとどまり,日本原産の植物の研究をした.彼が父の経営するニューヨークの育苗園に送った多くの植物の内に,数株のハナショウブが含まれていたとされる.その普及はそう速くはなかったが,1908年までには,多くの公園や植物園に見られるようになり,栽培や改良も進み,今に残るいくつかの品種が育種された(“The Japanese Iris” Currier McEwen UPNE, 1990). 

一方,苗や種の日本からの輸出も盛んになり,西欧人の嗜好に会った花姿を持つ品種への改良も進んだ.北海道開拓使に雇用され10年の長きに亘り北海道の近代農業発展に貢献したドイツ生まれのルイス・ベーマー(Louis Boehmer, 1843 - 1896)が指導した上島正(1838 - 1919)は花菖蒲の人工交配により多くの新品種の育種に成功した.
1882年(明治15年)開拓使の廃止にともないベーマーは,横浜に輸出入園芸業のベーマー商会を設立し,日本人の鈴木卯兵衛(1838 - 1910)を仕入主任(番頭)に雇い,日本の園芸植物の輸出に力を注いだ.上島の庭園(東皐園)で作られた花菖蒲はその後アメリカに輸出される事になったが,これにはベーマーが力を貸したのだろうと考えられている.
Yokohama Nursery Catalogue Iris
その後,鈴木卯兵衛は独立し,1890(明治23年)有限責任横浜植木商会(現 ㈱横浜植木)を設立し,ユリ,ハナショウブ,ボタン等の園芸植物の他,カキなどの果樹の対米輸出の大手に成長した.1897年(明治30)の春には輸出用花菖蒲の栽培及び品質改良の為,磯子に花菖蒲園を開設し,1903年(明治36) には海外販路拡張に伴い一層増産の為,蒲田に花菖蒲の圃場を開設し,ニューヨークの支社を通じて輸出に注力した(右,米国向けカタログ).他にもいくつかもの商社も輸出を手がけていた(左図).
Price list また,政府も輸出産物としての花卉植物に注目し,神奈川県農事試験場に補助金を交付して,宮澤文吾(1883 - 1968)を中心にハナショウブやシャクヤクの優良品種育成を委託した.神奈川農試在任中,宮澤が育成したシャクヤクは 700 品種,今日「大船系」と呼ばれる ハナショウブは 300 品種にのぼり,海外にも輸出され好評を博した.

この様に米国で歓迎されていたハナショウブ Japanese Iris だが,太平洋戦争の勃発に伴い,敵国由来でその名を持つ植物として迫害を受け,各地の植物園から姿を消し,また本人の反日感情あるいは周囲からの目を気にして、愛好家も減った.その中,ウイリアム・A・ペーン (W. Arlie Payne 1881-1971) は栽培、品種改良を続け,戦争が終わって反日感情が薄れ花菖蒲が見直される様になってからは,ペーン氏の所を起点として,再び全米に花菖蒲がひろまっていった.現在のアメリカ系の花菖蒲の大部分はペーン氏から始まったので,ペーン氏はアメリカの花菖蒲を守った大恩人であるといわれている.

左はペーン氏が育種した "Great Mogule", 中央・右は米国の花菖蒲園の光景(米国ハナショウブ協会のHPより)
Combined for Iris Kaempfer 

現在,米国に全米アイリス協会の一支部として ”The Society for Japanese Irises” があり,活発な活動を続けていて,毎年優秀なハナショウブの品種にペーン氏を記念した賞を与えている(http://www.socji.org/paynebio.htm).受賞品種を見ると平咲きや碗咲きで濃色系の花をつける品種が多いのは,いかにも派手な花を好む米国らしい.この協会支部のHPを見ると,メリーランド州に3箇所,ミシガン州に2箇所など,全米で北部中心に14の州に23の “Display Garden 花菖蒲園” があるとのこと. 

ユリと並んで西欧で愛されている日本原産の観賞用草本だが,ユリよりも新品種の育成が容易なために,これからも新しい西欧の好みに合った新種が数多く開発されるであろう.

エドガー・アラン・ポーの “The Sleeper” の全文は追記で見ることが出来るが,なぜ,John Cecil Clay が擬人化したハナショウブにこの詩をつけたのかは良く分からない.

»続きを読む

海を渡った日本の花 (35) ハナショウブ(2/3)

Floral Magazine New001SMM
Iris ensata Thunb. var. ensata Syn Iris kaempferi

Iris kaempferi
The New Floral Magazine, New Series , London 1878 Lovel Reeve & Co. 5 Henrietta St Covent Garden. Lithography by Vincent Brooks Day & Son Impression, original by W.G. Smith FLS del. 手彩色石版

英国には,日本・中国植物のプラントハンターとして知られるチャールズ・マリーズ Charles Maries (1851 –1902) が,1877 年の6月に北海道を訪れた際に数種のハナショウブの種を採取し,チェルシーにあるベイチ育種園に送った(”Hortus Veitchii”, 1906)と記録されている.

その後,英国の風土に合って,広く栽培されたと見え,1915年の “The Garden” 誌には,日本由来の植物としてはシュウメイギクに次いでハナショウブの記事や写真が多く掲載され, 6月10日号ではThe Garden 1915 右に示すように
” In a word, the Japanese Iris is unique, whether viewed from the standpoint of the splendour of the floral display and the living pictures the flowers create in garden scenery, or because of hardiness, amenability to the British climate, or because of the several ways which they may be employed with good results in gardens regardless of their size.” と堅牢性・花色の豊富さ・英国の気候に合っていること等のハナショウブの利点を述べた上で,「水分は好むが,水生植物ではない.常に水につかるところでは栽培してはいけない」と詳しい育て方が載り,日本風庭園には欠かせない植物としている.
m-iris
現在の初心者向けの園芸書でもカキツバタと共に水辺を彩る花として紹介されている(左図,"GARDEN PERENNIALS AND WATER PLANTS IN COLOUR" ANTHONY HUXLEY (1971) BLANDFORD).

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